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【東京江戸散歩】有楽町~丸の内~東京駅

今回歩き旅応援舎さんの散歩に参加しましたので忘備録としてブログを更新、とても勉強になりました😌

 

さて、東京駅エリアのぶらり散歩はJR有楽町駅からスタートします。

 

まずはJR有楽町駅を出発前に、有楽町の名前の由来を勉強しましょう。

織田有楽斎が江戸初期有楽町エリアに住んでいたことから有楽町となりました。

織田有楽斎織田信長の弟(!)、茶人・千利休の弟子(!)、関ヶ原の戦いでは徳川についたとたことにより、この辺の領地が与えられたといいます。

 

では早速高架下へいきましょう!

有楽町高架下センター商店会

〒100-0005 東京都千代田区丸の内8 Unnamed Road, 3丁目-8

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ノスタルジックな商店街で、戦後のヤミ商店街として栄えていたんだそう。

戦後直後はこのスペースぎゅうぎゅうにお店が入っていたそうですが今は少し空きスペースが目立ちます。

今風の新しいお店も何件もありますが、戦後直後からずーっと経営しているお店もあるんだとか。

 

〇高架下のお店もよいですが、この鉄道は1914年に完成し、現在もその時作られたレンガ造りが現存しています。

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 歴史を感じますね、かっこいい。。

 

東京国際フォーラム

〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目5−1

〇江戸時代には土佐藩山之内家と阿波徳島藩上屋敷がありましたが、1894年にドイツ風のレンガ建築の東京府庁が完成。

1945年に空襲によって消失しましたが、その後コンクリート製の都庁が立てられ、最終的に都庁は新宿に移転しました。

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東京府庁がここにあったことで、ガードレール下のお店はさらに栄えていったそうですよ。

 

〇現在の国際フォーラム1階には太田道灌江戸城を作った人)の銅像がたっています。

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ひどい写真! 

 

帝国劇場

〒100-0005 東京都千代田区丸の内3丁目1−1号

渋沢栄一が中心となって1911年に建設された劇場。鉄筋コンクリートにレンガと石を貼り合わせて建てられました。

初代の建物(旧帝国劇場)は1964年に取り壊され、現在の劇場は1966年に完成したものです。なお、現在の帝国劇場の入り口わきに扇面が飾ってあります。

これは、旧帝国劇場の舞台の真上の正面に飾られていたものです。

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これを見るだけで、運気が上がりそうです。これを見た後、帰りの電車でPASMO残金777円になったのでたぶん上がりました、運気。

 

明治生命館

〒100-0005 東京都千代田区丸の内2丁目1−1

〇1934年に完成され、現存しているビル。第二次世界大戦後にGHQの本部を置かれたことでも有名。初めて国の重要文化財に指定されました。

〇定火消の屋敷跡に建ったビルなので、いまでも外の装飾をよく見てみるとイルカの形が使用していたりして、水のモチーフで作られているんだとか。ちなみに安藤広重はここで生まれました。安藤広重は火消の息子さんだったのですね~。

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三菱一号館美術館

〒100-0005 東京都千代田区丸の内2丁目6−2

〇1894年に三菱が建設。1968年に解体され、2010年にコンドルの設計に基づいて復元された。

〇道路側から見る三菱一号館美術館もよいですが、小道を入って中の方に行くと中庭のようになっていて天気が良い日は、ゆっくりくつろぐのにちょうどよいです。

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東京駅

〇1914年に東京駅ができますが、1945年には戦争で屋根がかなり破壊されてしまします。

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1947年に上の部分を撤去(3階部分)し、2階建てとなりました。

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2012年に復原工事が完了し、3階建てに戻りました!

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3階部分は一度壊されて、立て直しているため、2階と3階の間は外から見ても少し色が変わっていることに気がつきます。

 

〇こちらは「帝室専用出入り口」で、皇室の方が新幹線に乗るときなどは、こちらに車を止めるそうです。普段は利用できないようになっています。

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 かっこいいね~。

 

東京駅丸の内南口

〇切符売り場の横にこのような看板があります。

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その下を見てみると、何か一部白くなっています。ここが原敬が暗殺された跡です。

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近くの柱に潜んでいた人が、原敬を切ったそうです。うぅ

 

〇上を見ると8角形になっていますね。八角形のブルーの部分を見ると、それぞれ干支が書いているそうなのですが、4つの干支が足りません。残りの4つは、辰野金吾が設計した佐賀県の武雄温泉楼門に隠れているそうです。

辰野金吾さん、佐賀県出身なので、そのような遊び心を入れることで、佐賀県に人を誘致しようとしたのでしょうか。素敵です。

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何度見ても美しい。武雄温泉にも行ってみたくなりました。 

 

東京ステーションホテル

東京駅丸の内南口から、東京ステーションホテルの地下に階段で行けますので、ステーションホテルに入ってみましょう。

〇ステーションホテル地下1階の廊下を歩いていると、松杭のアートが様々なところに置いてあります。このアートは、東京駅創建から約100年、丸の内駅舎を支えていた約11000本の基礎杭を再利用したものです。

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〇2階に上がると、東京駅内部を上から見下ろすことができます。そしてぐるりと一周していると、あの有名な虎やがこんなところに!すごく雰囲気の良いカフェとなっていました。次回時間のある時にゆっくり行ってみたいです。

 

井上勝像

では少し外にでて皇居側に歩いてみましょう。その前に、井上君にさよならを言います。

〇駅前広場の北口には「日本鉄道の父」と呼ばれる井上勝の像が建てられています。幕末にイギリスに密航留学した長州藩士の1人で、帰国後は工部省の鉄道頭として働きました。

いとおしそうに、東京駅の方を向いて立っています。

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丸ビル

〒100-6390 東京都千代田区丸の内2丁目4−1

丸ビルにつきました!大阪の丸ビルは本当に丸いですが、東京の丸ビルは丸の内の丸ですので丸くありません。

〇オフィス需要の増加に伴い、1923年に完成しましたが、完成の8か月後関東大震災で大きな被害を受けました。1999年に取り壊し、3年後現在の丸ビルが完成しました。初代のビルの土台として地中に埋められていた松杭が1階に展示されています。でかー!

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〇丸ビルの横にはリーフデ号像があります。

オランダ人ヤンヨーステンと、ウィリアムアダムスが乗っていた船です。日本に到着後徳川家康に気に入られて、このリーフデ号像があるエリアをヤンヨーステンはもらったそうです。

ヤンヨーステン=八重洲らしく、このエリアが本来は八重洲だったのがいつのまに東京駅の反対側が八重洲となっています。

徳川家康が亡くなった後は、外国人に対してのあたりがかなり強くなりはじめ、ヤンヨーステンさんも、祖国に帰りたい・・・と一生懸命インドネシアまで行き懇願したそうですが、かなわずお亡くなりになったそう。

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和田倉噴水公園

〒100-0002 東京都千代田区皇居外苑3−1

こちらに来たら少し休憩としましょう。

〇この噴水は平成天皇がご結婚をしたときに、噴水が設置され、さらに令和天皇がご結婚の時にもさらに噴水が設置されたそうです。なので公園は噴水だらけです。

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ここには自動販売機やトイレもありますが、あまりゆっくりまったり休むようなスペースではなく、10-15分少し座って、また歩き始めるための場所、というようなイメージです。長居している人は誰もいませんでした。

 

平将門首塚

ここは有名ですね。

関東(栃木のエリア)出身の将門を殺した侍が、京都まで首を持って京都で晒していた。将門の首は「関東に帰らせろー!」と怒って首が京都からポーンと飛びましたが、途中で力尽きて今の首塚のところに着地したそう。

以来、何度このエリアから首塚を移動しようとしても、工事関係者やその移動に携わった人が次々と亡くなったため、首塚は絶対に移動せずの状態だそうです。

オフィスビルの間にひっそりと佇んでいますが、お参りに来る人は後を絶ちません。

首塚の周りにはカエルの像が沢山ありますが、これは将門が帰りたい!といってここに到着したことから、カエルが🐸いるそうです。

オフィス街に囲まれた首塚にサラリーマンたちは

  • 左遷されたけど戻ってこれますように(カエル)
  • クビを切られませんように(首塚だけに)

と、お願いするんだとか。

 

ちなみに神田明神はこのエリアにありましたが、(もともと神田山を崩して日比谷入江を埋め立てたのが丸の内エリアなので、神田明神という名前がついたみたい。)現在の場所に移動されました。神田明神が将門を神様としているのもそういう理由があるのですね。

 

箱根駅伝ゴール地点

〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目7−1

少し歩くと、箱根駅伝スタート地点につきます。この絆の像の横には歴代の優勝大学が第一回目から全部載っています。あなたの出身校もきっと見つかる!それの写真を撮るのは忘れました。

読売新聞社の南側の道がゴール地点です。

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〇スタート地点はこの読売新聞東京本社の裏側にあります。

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神田橋門跡

〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目9

もう少し歩いたら外堀にかかっていた神田橋が見えてきます。この神田橋を渡って江戸時代の将軍は寛永寺にお参りに行っていたそうです。

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鎌倉橋

〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目9

江戸時代には存在しませんでしたが、関東大震災後復興事業でかけられたものです。

火事や地震などの震災があると、橋がなかったことで逃げられなかったという経験からいつも橋がどんどん追加でかけられていますね。

江戸初期は外敵から身を守るという意識から橋はほとんどありませんでしたが、何度も震災を経験し、後期になるとどんどん増えていきました。

 

竜閑さくら橋

〒103-0021 東京都中央区日本橋本石町4丁目1

2019年架橋の新しい橋。橋の上から外堀アーチやJRの線路を見ることができます。

JRは新幹線も在来線もどんどん走ってくるので、お父さんがビニールシートを引いて、子供と一緒にお菓子を食べながらずーっと電車を眺めていました。優しいパパ・・寒いのに・・

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トータル3時間、13000歩。

忘備録でした。