【東京江戸散歩】四ツ谷~信濃町~明治神宮外苑~乃木坂
本日も歩き旅応援舎の歩くツアーに参加をして
四ツ谷から出発し、信濃町、そして明治神宮外苑、乃木坂まで歩いてきました!
「君の名は。」の聖地から、創価学会の聖地、そして乃木坂48の聖地と、見るところがたくさんのツアーです。
所要時間は3時間、約13000歩でした!
ではスタートしましょう。
四ツ谷三丁目駅
四ツ谷の名前の由来はいろいろあるそうですが、四つの谷があったということが一番有力そうです。
甲州街道
日本橋から内堀沿いに江戸城の南側をまわり、半蔵門の前から西へと向かう江戸の五街道の一つです。
甲州街道という名前ですが、甲州で終わりではなく、交付を経て下諏訪まで続いています。このエリアは寺だらけで、この街道を境に北町寺と南町寺に分かれていたそうです。
丸正の大きな看板が見えますね。新宿区を歩くと丸正の本部や石碑も見つけることができます。新宿区でのマルショウの力の強さが良く分かります。
丸正本社
〒160-0018 東京都新宿区須賀町4
ありました、こちらが丸正の本社のようです。
東福院坂
〒160-0011 東京都新宿区若葉2丁目7−1
坂の途中に東福寺があることが名前の由来です。東福寺は豆腐地蔵の伝説があり。
※豆腐地蔵の伝説:金儲けをしようとした豆腐屋さんが地蔵に自分の豆腐包丁が刺さっていることを発見し、豆腐屋の旦那が反省し金儲けのため悪い豆を使ったり豆腐を小さくして売ることをやめたら繁盛したという話。
須賀神社参道の階段
〒160-0018 東京都新宿区須賀町 Unnamed Road
ここから須賀神社に向かって登る急な階段が神社の参道になっています。あの、アニメ映画「君の名は。」のラストシーンに登場した階段でもあります。
君の名は。は、新宿から四谷、信濃町にかけてみたことのある景色がかなり出てきますが、この須賀神社の参道がやはり何より印象的ですよね。
鮫ヶ橋
鮫ヶ橋の名前の由来はいろいろありますが、江戸時代に存在した鮫ヶ橋まで、鮫が登ってきたというものが一番好きです。
ちなみに江戸時代は鮫ヶ橋は三大スラムとして有名だったそうで、イメージが悪いので若葉という爽やかな名前に変えていったそう。
今や四谷のエリアは高級住宅街のイメージなので、昔はスラムだったのか~という感じです。特にこれと言って「旧スラムっぽさ」はあまり感じませんでした。大昔の話なので当たり前ですが。
戒行寺坂
〒160-0018 東京都新宿区須賀町9−40
坂の上が寺町で、一番手前にある戒行寺が坂の名前の由来です。戒行寺は「鬼平」として知られる長谷川平蔵の菩提寺ですが、墓は現存していません。
鉄砲坂
〒160-0011 東京都新宿区若葉1丁目21−11
この坂の上に住んでいた「御持組(おもちぐみというかわいい名前)」とは、将軍直轄軍のうち弓矢や鉄砲を武器に戦っていた部隊のことです。この坂に御持組の鉄砲の練習場があったことが名前の由来とされているそう。
ちなみにこの坂も君の名は。に数秒出ていたそうです。
紀伊和歌山藩上屋敷跡
徳川御三家の一つである和歌山藩の上屋敷は、江戸時代当初は現在の吹上御所内にありましたが、火災によって紀尾井町に移され、更に1823年の火事によってそれまでの中屋敷が上屋敷となりました。その跡地は明治初期の仮御所などを経て、現在の迎賓館と赤坂御用地となったそうです。
せきどめ神
〒160-0012 東京都新宿区南元町9−9
桜川には鮫が橋付近に堰が設けられていたため、「堰止める」から堰の畔にあった稲荷神社が「せきどめ神」と呼ばれるようになったそうです。もともとはみなもと町公園の東側にありましたが、道路拡張のため昭和46年に現在地に移転をしました。
林光寺
〒160-0012 東京都新宿区南元町15−3
兵庫県の生野銀山で開創し、東京の赤坂をへてこの地に移転してきた浄土真宗寺院です。新宿区登録有形文化財を多数所蔵しています。
一行院
〒160-0012 東京都新宿区南元町19−2
とてもおしゃれな寺院です。江戸時代初期のころ創建の浄土寺院だそうです。近くに屋敷のあった永井家の家臣が主君を弔うために建てられた庵が始まりと言われています。
板碑や墓地の出土品が新宿区の登録有形文化財になっています。
信濃町駅
〒160-0016 東京都新宿区信濃町34
1894年に開業した駅です。
この付近には徳川譜代の大名である永井家の本家・分家の屋敷がありました。そのうち本家は信濃守を名乗ることが多かったたため、駅名の由来となっています。
今では創価学会の聖地でもあり、時期によっては町中に創価学会の三色旗が掲げられていて「聖地」感がさらに出てきます。
滝沢馬琴旧居跡
〒160-0013 東京都新宿区霞ヶ丘町14
残念ながら私はディスレキシアなので、滝沢馬琴の本は一切読んだことがないのですが、こちらが、滝沢馬琴が晩年12年間過ごした家の跡だそうです。今は日高屋になっています。日高屋かぁ。
跡取り息子の死の翌年、馬琴は御家人株を買い、孫を御家人の養子としてこの地にあった御家人の組屋敷に転居しました。馬琴は1848にこの地でお亡くなりになっています。
明治神宮外苑
〒160-0013 東京都新宿区霞ヶ丘町1−1
幕府の火薬庫だったところと、武家屋敷街が1886年に青山練兵所になりました。ここでは明治天皇の大葬儀が行われ、そのあと明治天皇の遺徳を後世に伝えることを目的に明治神宮外苑が建設され、1926年に完成しました。
外苑内は聖徳記念絵画館を中心に、国立行儀上、明治神宮球場などがあり、茶道・書道教室なども開かれるスポーツと文化の拠点となっています。
良い時期に行くと本当に見事な銀杏並木を見ることができます。146本の銀杏が4列に植えられていて、神宮外苑のシンボルとなっているのです。
聖徳記念絵画館
〒160-0013 東京都新宿区霞ヶ丘町1−1
明治天皇の御聖徳を後世に伝えるために、明治天皇の出来事と明治天皇の実績を80枚の壁画にして展示しています。
1926年に完成した鉄筋コンクリート製に花崗岩を外装に貼った建物は、日本初の美術館建築であり、国の重要文化財に指定されています。
御観兵榎
〒107-0061 東京都港区北青山1丁目7
この地が青山練兵場であったころ、明治天皇の閲兵が何度も行われていますが、そのときには大榎の西に玉座が設けられていたことから、「御観兵榎」と呼ばれることとなりました。この榎は1995年の台風で倒れ、現在の榎は二代目です。
御観兵榎と石に刻まれている字は東郷平八郎の筆跡だそうです。鳥の糞が気になる・・。
玉窓寺
〒107-0062 東京都港区南青山2丁目7−8
徳川家康の側近で青山の地名の由来ともなった青山忠成の息女が死んだとき、赤坂の下屋敷内に位碑の安置所を設置したのが玉窓寺の始まりとされています。
1879年に玉窓寺の場所が赤坂御所になることとなり、現在地に移転してきたそうです。
都立青山霊園
〒107-0062 東京都港区南青山2丁目33
1872年に政府が神式墓を推奨するために設けられた5か所の公営墓地の一つです。
10人の総理大臣経験者をはじめとして、約27万平方メートルの敷地に10万ものひとが葬られています。
総理大臣経験者:
黒田清隆、松方正義、山本権兵衛、加藤友三郎、加藤孝明、浜口雄幸、犬養毅、小磯国昭、吉田茂、池田勇人
その他
乃木希典、尾崎紅葉、大久保利通、忠犬ハチ公、志賀直哉、森有礼、後藤新平、後藤象二郎、北里柴三郎などの方のお墓を見ることができます。こちらがその一部です。
星条旗新聞
〒106-0032 東京都港区六本木7丁目23
アメリカ軍向けの新聞を発行している星条旗新聞の日本支部です。江戸時代に宇和島藩の上屋敷だったところは明治時代に陸軍歩兵第三連隊となり、第二次世界大戦によって米軍に接収されました。現在でも星条旗新聞のある赤坂プレスセンターのみはアメリカから返還されておらず、東京23区内唯一の米軍基地となっています。
ヘリコプターが良く飛んできますが、めちゃくちゃ近くでヘリコプターを見ることができます。このエリアに住んでいる人は騒音が大変そうです。
乃木坂駅
昭和47年に開業した東京メトロ千代田線の駅です。東側の出口を出たところに乃木希典の旧宅があり、1912年に赤坂区議会の議決によりその駅が開業した時に坂道の名を駅名としました。